右翼と左翼というフレームから見るアイドル
こんな本を読んだ。
サッカー右翼 サッカー左翼 監督の哲学で読み解く右派と左派のサッカー思想史
- 作者: 西部謙司
- 出版社/メーカー: カンゼン
- 発売日: 2015/12/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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日本では「右翼」や「左翼」という言葉をみるとギョっとしてしまいますが、この本はあくまでサッカーの戦術スタイルの変遷や監督の哲学を論じたもの。
1978年にアルゼンチンをワールドカップ初優勝に導いたセサル・ルイス・メノッティ監督の「左翼のフットボールと右翼のフットボールがある」という言葉をヒントに書かれた、まあ遊び半分本気半分の本だ。
西部さんは、こんなまとめ方をしている。
右翼のサッカーをひとことで言うなら勝利至上主義です。勝つために手段を選ばず、そのためにサッカーが本来持っている魅力が損なわれているというのがメノッティの意見です。徹底的に守備を固めてカウンターアタックを狙うスタイルが、右翼サッカーの典型になるでしょうか。
では、左翼のサッカーとは何か。ショートパスを主体とする技巧的な攻撃をするチーム、スペインのバルセロナをあげるとわかりやすいかもしれません。(7ページ)
つまり、いわゆる縦ポンとか放りこみといったものが右翼のサッカー。技術じゃ勝てないから、がっつり守って馬車馬のように走り、ワンチャンスを狙う。2008年ロンドン五輪のU23代表は、まさに戦術永井という右翼のサッカーでスペイン代表を破り、ベスト4になった。
岡崎慎司が所属するレスター・シティも、岡崎やバーディといった選手がめちゃくちゃに走って相手のボールを狙っていた。洗練とはかけ離れた泥臭いスタイルだったが、そうすることで、持たざる者たちはプレミアリーグ優勝という偉業を達成した。
一方の左翼のサッカーは、技術を武器としてパスをつなぐ。バルセロナのサッカーは優雅で美しい。2014年ブラジルW杯の日本代表は、「自分たちのサッカー」つまり左翼のサッカーをやろうとしたが、力およばずグループリーグを敗退した。
で、西部さんによる右翼・左翼という見立ては、アイドルにも適用できるんじゃないかと思ったわけです。
アイドル右翼とアイドル左翼
サッカー右翼とサッカー左翼の定義
この本のなかで、西部さんは右翼と左翼を次のように定義している。
サッカーの左翼と右翼を分類するにあたって、エンターテインメント性が高いか低いか、勝利至上主義傾向が高いか低いかを1つの軸としてみました。さらに攻撃的か守備的か。この2つの対立軸に従って、左翼右翼、極左極右、さらに中道というふうに分類を試みています。
つまり、勝ちたいのは大前提として、それに加えてエンタメ性(美しさとか洗練)が高いか低いか、攻撃的に戦うか守備的に戦うかが、右派と左派の基準ということだ。
いうまでもなく、エンタメ性が高いのが左派で低いのが右派。攻撃的なのが左派で守備的なのが右派だ。
アイドルのばあいはどうなるか。
アイドル右翼とアイドル左翼の定義
西部さんにならって、アイドルの右左を分ける軸を立ててみる。
メンバー
ひとつめの軸は、メンバー構成のギミックが多いか少ないか。
ギミックというのは、英語で仕掛けという意味。アイドルにはさまざまな仕掛けが施されるが、これが多ければ左翼的。少なければ右翼的ということだ。
たとえば、アフィリア・サーガというグループのメンバーは、アフィリア・グループというレストランやカフェの店員だ。
しかも、このカフェというのが魔法をコンセプトにした一種のメイドカフェで、メンバーの名前はアコヒメ・リト・プッチやナナ・ドロップ・ビジューといった、ガンダムのキャラクターみたいな名前なのだ。
魔法学校をテーマとした飲食店の店員が変わった芸名でアイドル活動をするという、ギミックにギミックを重ねたカオス状態(でも、けっこう人気はある)。
これが極左の一例だ。
楽曲
もうひとつの軸は、楽曲のギミック。これは歌謡曲的かどうかで決まる。アイドルはいろんな歌を歌うけれど、この楽曲が歌謡曲に近ければ右翼、EDMやロックやヒップホップやテクノなどに近ければ左翼になる。歌謡曲ってなんだよという問題はあるけれど、早い話が、70~80年代のアイドル歌謡のあの感じ。お年寄りから子どもまでメロディーを覚えられて、口ずさめるような曲のことです。
- アーティスト: V.A.
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2014/12/10
- メディア: CD
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なので、演歌や雅楽というのはこの基準では左になる。
つまり、「ミニスカ衣装で演歌を歌うアイドル」というのは、めちゃくちゃ左のアイドルである。ちなみに、本当にこういうアイドルは存在する。
演歌女子ルピナス組という、テクノ演歌ユニットだ。
Youtubeにファンが撮影したライブ映像がある。
石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を大胆にアレンジしており、聴いていると頭がクラクラする。いくらなんでもこれは先鋭的すぎると思う。せめて、テクノの部分はなくして、「ミニスカートで演歌を歌うアイドルグループ」程度の左寄りでもよかったんじゃないかな。ルピナス組はリーダーを組長と呼ぶといったギミックもそなえている。まさにアイドル極左ここにありだ。
こうしてみると、現代アイドルはそもそも左寄りであるといえる。歌謡曲を歌うソロアイドルという極右は、言葉を変えれば王道である。しかし、王道を歩むことができるのはほんの一握りの逸材だけだ。そうでない大多数のアイドルは、多かれ少なかれ左寄りになることで目立とうとする。みんながそう思った結果、アイドル界は左寄りになったというわけだ。
国民的アイドルの黄金パターン
アイドル左翼・アイドル右翼というフレームを導入すると、見えてくるものがある。たとえばモーニング娘。とAKB48。時代を代表する2つのアイドルグループには共通点がある。
モーニング娘。はテレビ東京のオーディション番組における落選組を集めてできたグループだ。この意味でギミックが多い=左翼的である。しかし、モー娘。のデビュー曲は「モーニングコーヒー」という極めて歌謡曲的な歌だった。
つんく♂が作詞作曲したとは思えないほど穏健な楽曲だ。モー娘。のブレイクは3rdシングルの「抱いてHOLD ON ME!」という、非常につんく♂的な楽曲を待つことになる。その後、「LOVEマシーン」から「恋愛レボリューション21」というモー娘。黄金期が来るわけだ。
一方のAKB48。当時の世間様が見る秋葉原のイメージはいまでは想像もできないほどいかがわしくアヤシイ場所だった。特に2000年代になると、歩行者天国ではカメラ小僧とコスプレイヤーが街を闊歩し、勘違いした中高生がエアガンで市街戦を繰りひろげるなど、秋葉原=オタク=迷惑というイメージを持たれていた。その秋葉原に、専用劇場を構えて活動するアイドルが登場する。しかもメンバーは数十人。大人数グループに専用劇場というギミックを利かせたアイドルグループの誕生である。そのAKB48は、「会いたかった」でメジャーデビューする。こちらもグループアイドルのメジャーデビュー曲としては極めて穏当な保守的なものだった。その後、少しずつ知名度を高めたAKBはついに「RIVER」でオリコンウィークリー1位を達成する。
自衛隊の協力も得て撮影されたMVも含めて、ダンスも曲調も歌詞も歌謡曲的でないのはいうまでもない。
さて、こうして比べると両者にはあるパターンがあることに気づく。つまり、①左翼的なアイドルとして誕生し、②右翼的な楽曲でデビューし、③左翼的な楽曲でブレイクするという流れである。
これは、つんく♂と秋元康というプロデューサーが、半ば意識的に半ば感覚的に行動した結果なのだと思う。ギミックが多いというのは、すなわち目立つということだ。ただでさえメンバーギミックの多いアイドルが、EDMやテクノといった変わった楽曲でデビューしては、悪目立ちになる。だからこそ、意図的に誰もがすぐにメロディーを覚えて口ずさむことができるアイドル歌謡をデビュー曲にしたのだ。そうすることで、世間に対して「自分たちは危険じゃありませんよ」とアピールする。しかし、そのまま保守的な楽曲を歌っていては埋没してしまう。だから、ここぞというタイミングで勝負をかける。ある程度、世間に名前が売れた(これは言葉を変えれば、メンバーのギミックが通用しなくなったということでもある)時点で、左翼的な楽曲をリリースする。
これが、国民的アイドルになるための黄金パターンだ。
ちなみに、AKB48第二のブレイク曲となった「恋するフォーチュンクッキー」は、すぐにメロディーが覚えられる右翼的な楽曲だ。なぜなら、いろいろあった指原莉乃が総選挙で1位となったというギミックがたっぷり乗っかっているからである。
メンバーのギミックが多いなら曲のギミック抑えて穏健に。メンバーギミックが少ない(世間に浸透した)なら曲は変わったものに。そうすることで、適度に目立った存在になることができる。
だから、AKB48がふたたび世間に届くためには、ここで一発左翼的な楽曲で勝負するべきだ。反対に、モ―ニング娘。16はいまこそ「モーニングコーヒー」のような曲をリリースするべきだと思う。世間のイメージを裏切るには、保守的な楽曲が最適だ。
まとめ
サッカー右翼サッカー左翼は冗談半分のものだ。なので、アイドル右翼アイドル左翼にいたっては冗談が3/4くらいある。
とはいえ、ギミッという観点からアイドルを考えると、自分の好みがはっきりしてくる。ファンには申し訳ないけれど、ぼくはルピナス組のようなバリバリの極左は苦手だ。アフィリア・サーガくらいがギリギリ許容範囲の保守的な人間だということがよくわかった。
とまとめようと思っていたところ、こんな記事を見つけた。
右翼の思想家が、旧日本海軍の戦闘機の名前を持つアイドルをプロデュースだって。
ガチで右翼のアイドルが登場かと思いきやそうではない。
これもメディア研究のひとつらしい。
「ひと言で言うなら、村上龍氏の小説『愛と幻想のファシズム』の“大学バージョン”。アイドルの養成という仕事に携わってから、僕は若返った(笑)。誤解を恐れずに言うなら、今やっているのは学生運動の延長。だから、アイドル個人には興味がない(笑)。社会現象としてのアイドルに興味があるんです。要は、芸能界という壁をいかに突破するか。今は2度目の学生運動をやっているようなもので、ウチの学科のこの制服は、僕にとっては楯の会の制服なんです」
小難しいことをいっているが、歳をとってアイドルに目覚めたドルオタという可能性が高い。
くれぐれも、どっかのアーキテクチャ研究者みたいなことにならないことを祈る。