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家から出て握手したら負けだと思ってる

完全在宅アイドルファンによるブログです

日テレ『時をかける少女』は黒島結菜だけを見よ

 日本テレビ『時をかける少女』を見ました。

www.ntv.co.jp

冒頭から衝撃的。

このドラマの主題歌であるAKB48「LOVE TRIP」。

まさか歌の途中でカットされるとはね……。

案の定、ドラマの雰囲気と全然あってない。ただし、あらためて聞くと、ちょっと子ども向けドラマのOPっぽかったので、その点では、ジュブナイル小説である「時をかける少女」に合っているといえなくもないけど、やはりこのドラマのOPには不似合いだ。

そして、本編について。

予告を見たときに嫌な予感はしていたけれど、やっぱりこんな感じなんですね。そもそも、日本テレビのこの時間帯、『怪物くん』とか『三毛猫ホームズ』を放送していたわけで、地表から丸見えの地雷だったんですが、やっぱり今回も地雷だった。

大量の地雷原にみずから突撃した身でいうのもあれだが、いちおう、被害者として感想を書く。

 

以下、第1話を見たことを前提としております。

作品全体のネタバレはありませんが部分的なネタバレがありますので、ご注意ください。

 

チープな絵作り

まず真っ先に目につくのが、画面の安っぽさだ。のっぺりとして明るいだけの照明。生活感のないリビングに、セットであることを隠そうともしない取調室。タイムリープするための薬品が入っているとは思えない試験管的な小道具に、同じくタイムリープのための薬品を作っているとは思えない実験室。

いまどき、ここまであけすけに作り物であることを隠そうとしないのも珍しい。

極めつけは、未来人の衣装のおそるべきダサさだ。

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(俳優さんの名誉のために、わざとピントをぼかしております。)

服全体をおおうウロコのような突起物と、背中から首にかけてあるビニールっぽいやつ。いまから500年先の未来人はこんなダサイ格好をしているのか。マジか。

もちろん、いまと未来では価値観が違うのはわかる。なので、未来人のファッションセンスについてはどうこういうつもりはない。問題は、"未来のアイテム"という取扱注意の要素を無邪気に持ちこむスタッフにある。大林版も細田守版も、未来人がどういう格好をしていてなにを持っているのかは慎重にボカしていた。そんなもの現代人がわかるわけないし、これが未来でござい!とドヤ顔で劇中に出せばどういう目に合うか、賢明な作り手であるふたりは、きちんと理解していたのだ。

ところが、ある意味では誠実なこのドラマのスタッフは、未来人が現代にやってくる場面をきちんと映してしまった。その結果、未来人というのはとんでもなくダサいということが判明してしまったのである。

チープな演技

安っぽいのは画面だけではない。このドラマの役者は、とても軽い演技をする。その筆頭が、未来からやってきた深町翔平を演じる菊池風磨くん(あえてジャニーズ的に、くん付けで呼びます)。こんなこと書くとジャニーズファンからボコボコに叩かれるかもしれないが、演技が下手すぎる。いや、正確にいえば、シリアスなシーンでの演技は悪くなかった。問題はコミカルな場面だ。たとえば、お祭りのシーン。「冷やしパインうまっ!」と何度も奇声をあげ、それに合わせて照明をつないでいるロープをふむものだから、ロープが切れて照明が落下し、深町が下敷きになってしまう。

……バカなのか?

もちろん、深町がこれほど興奮するのには理由がある。未来人である深町にとっては、見るもの聞くもの味わうもの、すべてが新鮮なのだ。おまけに、シリアスな場面での深町はとても理性的で、普段の日常生活ではあえてバカな男子高校生を装っているフシもある。

しかしね、いくらなんでも「冷やしパインうまっ!」の絶叫はやりすぎだよ。菊地くんは、ただでさえ茶髪の優男という、いわゆるチャラ男的な外見をしている。そんな男が「冷やしパインうまっ!」と奇声をあげているのだ。

このシーン、カット割りもあいまって、お祭りで騒いでるイキがった高校生にしか見えない。あるいは、サッカースタジアムにいる品のないサポーターだ。猿じゃないんだから、パイナップルを食べたくらいで興奮してロープを踏むんじゃねえ。場合によっては、もっと年上のコワイお兄さんたちに「さっきからうるせえなぁ」と因縁つけられて、暗がりに連れ込まれて財布を持っていかれてもおかしくない。というか、そうなってほしかった。

ここに限らず、コミカルシーンは明らかにやりすぎ。演出家のミスだ。ジャニーズとはいえ菊地くんはプロの役者ではないのだから、大人がきちんとコントロールしないといけない。同じ未来人であるゾーイとの会話も、あまりにもフランクすぎる。キャベツやキュウリを丸かじりすることで文化的ギャップとウケを狙うのはいいとしても、ふたりの会話はもうちょっと未来人っぽくするべきだろ。500年先の遺伝子で管理された未来から来た人があんな口調でしゃべるのか?

じゃあどんなものが未来人っぽいかといわれれば誰もわからない。わからないからこそ、大林宜彦も細田守も、未来人どうしの会話は描かなかったんだよ!

それから、八木莉可子さん演じるネットアイドルの大西敦美の、あのたどたどしいセリフ回しはあれでいいのか? たしかに容姿もダンスも目を奪われるけど、ひとりだけ変な方言みたいになってるぞ。もしかして大西も未来人という伏線なのだろうか。

古臭い演出

演出といえば、この『時をかける少女』は脚本や演出に隙がありすぎる。たとえば、冒頭の芳山未羽と浅倉吾郎の登校シーン。ぼくは、いつこのふたりが「遅刻、遅刻!」と言いだすのかとヒヤヒヤしながら見ていた。演出家も脚本家も、さすがにそんなセリフをいわせるほど時代錯誤ではなかったようで一安心。とはいえ、取調室のシーンはかなりヤバかったので、まだまだ油断はできない。

それから、保健室でのやりとり。深町から「おかしなところはないか?」と聞かれた芳山が、顔をしかめる。みんなが心配すると、芳山が「お腹へった」。

2016年にもなってこういうやりとりを平気でやらせる神経の太さを見習いたい。

だいたい、未羽の友達の女の子のニックネームが「おじょう」って! たしかに、おじょう役を演じる古畑星夏さんは上品な顔立ちだけど、そんなあだ名をつけるのは70年代少女漫画のセンスだよ。

アイドル映画だと思えば悪くない

ここまで文句ばかりだが、意外や意外、けっこう楽しめた。特に、吾郎から告白されたせいで急によそよそしい態度をとるシークエンス。あの黒島結菜の顔芸はよかった。

前髪ぱっつんのヘルメットになった黒島結菜。片思いの大学生とのやりとりにクニャクニャする黒島結菜。数学の問題が解けず黒板にダイイングメッセージを残す黒島結菜。ちゃんと浅黒い肌になっている黒島結菜。恋バナに動揺して、石膏像を落として粉々にする黒島結菜。故障した蛇口を使って、びしゃびしゃになる黒島結菜。懐中電灯の光を顔に当てて、母親を驚かそうとする黒島結菜。妹のアイスを食べて「お母さん、この野郎に針千本飲ませて!」とキレられる黒島結菜。吾郎から告白されそうになって、なんとかフラグをへし折ろうとする黒島結菜。たこ焼きのタコが苦手で吾郎に食べさせる黒島結菜。

このドラマの黒島結菜は、コロコロといろんな表情を見せてくれる。

そもそも、大林宜彦の『時をかける少女』は、原田知世という新人女優に惚れこんだ角川春樹が自費を投じ、原田知世に惚れこんだ大林宜彦が彼女を輝かせるために撮影した、原田知世に捧げるアイドル映画だった。『時をかける少女』という作品は、はじまりからしてヒロインのための映画だったのだ。そして、こうしたアイドル映画の要素は、アニメである細田守版『時をかける少女』にも受け継がれている。同作のパンフレットだったか、あるいはインタビューだったか――出典は忘れたが、ヒロインの声優に仲里依紗を起用した理由について、「悲しいときも怒っているときも、世界を全肯定するような声だったから」というようなことを述べていた。細田版『時をかける少女』を見た人ならば納得できる言葉だろう。たしかに、仲里依紗の演技は本職の声優と比べてぎこちない部分はあったが、なによりも彼女の声には世界への希望があふれていた。細田守は、演技ではなく仲里依紗の声に惚れた。それはいわば仲里依紗の天性の素質だ。細田版はアニメーションでありながらも、声優・仲里依紗の声を楽しむアイドル映画だったのだ。

日テレ版『時をかける少女』は、明らかに細田版をベースにしている。ヒロインの芳山未羽は、活発で食いしん坊。まだ恋愛よりも友情を優先したいと思っている(厳密には、細田版のヒロイン真琴は天然で友情を優先していた一方で、未羽はあえて友情を優先しているという違いはある)。友達のひとりは真面目で誠実な男の子で、もうひとりは、ちょっとチャラチャラした男の子という設定も細田版と同じ。自分の私利私欲でタイムリープをしたあげく他人に迷惑がかかる、というエピソードも細田版譲りだ。ところが、ここには大きな問題がある。細田版はアニメーションであり、日テレ版は実写であるという違いだ。アニメでは違和感なく受け入れられた演技や演出も、生身の役者がやると不自然になってしまう。

つまり、ぼくが上で指摘したダメな部分は、アニメ版のテンションを実写で表現したがゆえに起きたことでもある。もちろん、黒島結菜の演技にも、ところどころ「うーん」と思わざるをえないものもあった。しかし、そうしたいわば"ツッコみ目線"は時間が経つにつれて消えていったのだ。これはひとえに黒島結菜の魅力によるものである。仲里依紗の声にあった世界への肯定感が、黒島結菜にも感じられる。感情に応じて表情も変わるが、その根底には世界を丸ごと肯定するような明るさが感じられる。

おまけに、細田版のヒロインだった芳山真琴の高校生とは思えない小年感というか、いやらしくない感じというのが、黒島結菜にも存在する。

19歳なのに、ぜんぜん性的対象っぽくないでしょ、黒島結菜。

イケメンふたりをはべらす女の子という無茶な設定も、道端でカメを見つけて無邪気に喜ぶという性格も、タイムリープしてまでやることが妹のアイスを食べるだけっていうセコさも、黒島結菜の存在感でなんとなく納得できる。

そう、これは黒島結菜だからこそ成立する黒島結菜のためのドラマなのだ。

だから、画面が安っぽいとか脚本がダメとか衣装がダサイとか言ってはいけない。

黙って黒島結菜だけを見ろ。

これは、そういう作品である。