家から出て握手したら負けだと思ってる

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AKB48 45thシングル最大の当たりは「岸が見える海から」

AKB48の45枚目のシングル『LOVE TRIP/しあわせを分けなさい』が発売された。

一大プロジェクトによってMVを撮影した「LOVE TRIP」や指原莉乃のウェディングドレス姿が印象的な「しあわせを分けなさい」といった曲の中で、もっとも魅力的な楽曲はなにかと聞かれたら、ぼくは間違いなくフューチャーガールズの歌う「岸が見える海から」と答える。

 

これ、メロディも歌詞もMVもすべて最高。

イントロはギターのキュィーンってサウンドで始まり、恋の予感でいっぱい。たっぷり余裕を持った譜割とアレンジを抑えたAメロは、凪ぎの大海原を連想させる。ややテンポの上がったBメロは、主人公の決心や緊張感を反映しているかのよう。AメロからBメロにかけては男声のコーラスもあってムード満点。そして、サビのアレンジのこれでもかってくらいのキラキラした音色は物語の盛り上がりと完璧に一致している。もろもろ全部まとめて、これぞAKB48の夏歌だ。

ここんところ坂道シリーズに押され気味かなと思っていたが、この一曲でAKB48は完全に持ち返した。

なんといっても、まずタイトルが良い。

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ドドンと出てくる、簡にして要を得た題名。

「城の崎にて」を思わせて、まるで純文学小説のタイトルみたいだが、余分な修飾語句や横文字なんて必要ないのだ。

なぜなら、この歌は「岸が見える海から」というタイトルの通り、海から見た岸がどうなっているかという一点に向かって進んでいく、一切の余剰を排したシンプルな物語だから。

「君」の気持ちがわからないから、「僕」の思いを伝えるためにラブレターを書いた。答えがイエスなら、ヨットに乗って沖からやってくる「僕」にも見えるように、ビーチタオルを振りながらジャンプしてくれ。答えがノーなら、ヨットを見送ってくれ「何事もないように全力で通り過ぎてくから」。

これがストーリー。

どうですか、この質実剛健さ。まるで旧制高校みたいだ。

ショート・バージョンがYouTubeに公開されたとき、これは『若大将シリーズ』×『幸福の黄色いハンカチ』じゃないかと思ったが、フルで曲を聴いた結果、直感が完璧に正しかったことがわかった。

「岸が見える海から」にはLINEとかスマホみたいな野暮な道具は存在しない。それどころか、固定電話すらないんじゃないかと思える。

「僕」はラブレターで思いを伝え、なぜかヨットに乗って岸に近づき答えを知ろうとする。電話かメールで返事をもらえばいいだろ、アホかって感じだが、加山雄三がヨットに乗っているんだから仕方がない。返事の仕方がビーチタオルを振りながらジャンプをするという不自然な方法なのも、『幸福の黄色いハンカチ』で黄色いハンカチがぶら下がってるんだから仕方ない。

現代的な風俗が一切排除されて、出てくるのはヨットやラブレターといった日本の土着性を排したハイカラなものばかり。つまり、この歌はどこからどう見ても虚構の代物ということだ。

しかし、それゆえに、この歌の世界観は懐かしく美しい。戦後民主主義の明るい雰囲気を描いた、古き良き日本娯楽映画のエッセンスが感じられる。『青い山脈』とか「青空娘』のあの感じですよ。

で、歌詞がこれまた秀逸。

どこをとってもいいのだけれど、たとえば二番のAメロ。

銀の波に跳ねた魚

この胸はときめくよ

あと少しであの砂浜

平行に並ぶロマンスさ

波間を跳ねる魚と自分のときめく心を重ね合わせるレトリックが、抜群に冴えわたっている。そして、「平行に並ぶロマンスさ」というフレーズ。

なんともオシャレで洒脱。

まるで、小沢健二みたい。

秋元康は「~さ」っていうキザな言葉がお気に入りのようで、それがうまくいってないときもあるんだけど、今回は大成功。「Everyday、カチューシャ」の「恋はきっといつか気づくものさ」に匹敵するくらいカッコイイ。

白眉はなんといってもサビ。

もしもYESなら岸で

君のビーチタオル振って

遠い沖から見えるように

精一杯 ジャンプして

だけどNOだったら そっと

僕のこの恋を見送って

何事もないように

全力で通り過ぎてくから

こんなに映像喚起力のある歌詞はなかなか見つけられない。

まあ、これは完全に『幸福の黄色いハンカチ』からインスパイアされているんだけど、告白の返事がビーチタオルを振っているかどうかって、すごくドラマチックで絵になる。非常に映画的なんですよね。真っ白なヨットが近づいてくると、岸には女の子がいる。果たしてタオルを振ってくれるのかどうか――イメージが生き生きと目に浮かんでくるようだ。

最後に、ぼくがもっとも感動したのが歌詞のスタイル。

たとえば、同じシングルに収録されている「光と影の日々」と比較するとよくわかる。「光と影の日々」の主人公となるのは「僕たち」というぼんやりした存在だし、内容はひたすら思弁的で抽象的。誰がどうしたのかさっぱりわからない。

一方の「岸が見える海から」は正反対。こっちは、ただ行動と風景の描写が連なり、そこにわずかな心理描写が加えられているだけ。つまり、これって韻文=歌詞=詩ではなくて、むしろ散文=小説に近い作法だということです。もっといえば、ハードボイルドの文体に近い。

同じ類の試みとして、「さよならクロール」や「Summer side」という曲があるけれど、ここまで徹底されていない。「さよならクロール」の場合、サビのフレーズはかなり韻文的だし、「Summer side」の場合、詩的なフレーズを消すことには成功しているけど、物語としての盛り上がりはイマイチだった。

もちろん、「岸が見える海から」にもややポエジーで抽象的なフレーズは残っている。しかし、この歌は実現可能なギリギリのところまで散文に近づいているし、ひとつの確固たる物語を提示することに成功している。

なにより優れているのが、そうやって書かれた歌詞がほとんど完璧にメロディと合致しているところ。実際に口ずさむとわかるが、サビの「もしも」のリズムといい、続く「岸で」の後に入るサウンドの間の良さといい、「遠い沖から見えるように」の「ように」のイントネーションといい、めちゃくちゃ気持ちがいい。歌詞が浮いていないから、何げなく聴いていると言葉が頭に入ってこないのだ。

まさに、声に出して歌いたい歌詞です。

唯一、違和感があるのが大サビで、この部分は言葉のひとつひとつがメロディから離れてしまっている。でも、これは意図したものなのだと思う。大サビというのは物語のクライマックスだから、聴き手にオチを理解させなくてはならない。だからこそ、音に言葉をまぎれさせて耳馴染みをよくするのではなく、あえて歌詞が浮かび上がるようにしたのだろう。

この歌を聴き終るたびに、ぼくは一篇の短編小説を読んだ気持ちになる。それは、小島が群れをなす内海を舞台にした、太陽の日差が似合う幸福な男女の透明な物語だ。たとえれば、三島由紀夫の『潮騒』のような物語。

てな具合に、ぼくはすっかりこの曲に惚れ込んでしまった。YouTubeの再生回数は45thシングル収録曲のうち最小とあって、世間的には正しく評価されていないみたいだが、ぼくは「岸が見える海から」にイカれてしまいました。リピートして聴きまくり、MVを何度も見返しています。

いいっすよ、これ。

思い返せば、2016年の夏は乃木坂46「裸足でsummer」で始まった。そして夏の終わりの8月31日に「岸が見える海から」が収録されたシングルが発売されたのだ。

今年の夏は完璧だったね。

 

と、ここまでMVのことにはまったく触れていないのに、もうすぐ3万字に近づこうとしている。いくら改行が多いとはいえ、この文字数は我ながらヤバイと思う。

卒業論文書いてるんじゃないんだから……。

これ以上書くと誰も読んでくれないと思うので、MVについては記事を改めます。