「抑えきれない衝動」 に心を揺さぶられた
最近、「抑えきれない衝動」のMVばっかり見てます。
AKB48の公演曲に「青春の稲妻」という曲があって、「抑えきれない衝動」はそれの別バージョンって感じだ。どちらも思春期の感情をテーマにしているのだけれど、「青春の稲妻」が何者でもない自分自身への苛立ちを歌っているなら、「抑えきれない衝動」は、何者でもないがゆえに何にでもなれるという形で思春期を肯定している。
MVの設定としては、女子高生に扮したメンバーが「ドローンJK部」なるクラブを作り、体育館でドローンレースを繰りひろげるというもの。といっても、ストーリーはあってないようなものだし、ストーリーパートからダンスパートへの移行もちょっと強引で、正直いって、一度目に見たときは「え、そこでダンスになるの?」と虚を突かれた。
そんなわけでお世辞にも完成度が高いとはいえないのだけれど、でも、このMVを見ていると胸を締め付けられるような切なさを感じる。
たとえば、冒頭の夕暮れの教室でおしゃべりをしているシーン。
メンバーひとりひとりが本当に生き生きとしていて、ファンとしてうれしいと同時に、自分は一生この瞬間を共有できないんだという疎外感を味わうことになって、もう喜びと悲しみでわけわからない気持ちになる。
本当にこのシーンはやばい。特に、パーカを着た武藤十夢と赤いジャージの村山彩希の破壊力はやばい。生まれ変わったら二人と同じ高校に通って、文化祭の出し物の看板を作ったり体育祭で全員リレーをしたりしたい。
このMVは、ある年ごろの女の子にしか出せない内側から照らすような輝きを捉えている。それは作品内のドローンに熱中するキャラクターが放つ輝きであると同時に、AKB48に青春を賭けた本物の十代の女の子であるメンバーが放つ、いまこの瞬間にしかない輝きだ。
だから、彼女たちの切なくも力強い声で歌われたとき、
すべてが愛おしい
すべてが美しい
キラキラ輝いてる
この時間の中で
という、ひねりのないフレーズが、ノスタルジーを越えて、リアルで尊いものとして聴こえる。なぜなら、「すべてが愛おしい すべてが美しい」時間は、永遠には続かないからだ。
それを象徴するのがこのラストシーン。
ドローンが夕日に向かって飛んでいき、笑い声が聞こえ、満面の笑みを浮かべる三人が映し出されたところで映像は終わる。あたかも、これが人生でもっとも美しい瞬間、きらきら輝いている瞬間であるかのように。
このときの複雑な感情をどのように表現すればいいだろう。
素晴らしい瞬間を見られた喜びと、そんな瞬間を味わうことができた彼女たちへの嫉妬と、これが人生最良の瞬間であろうことへの憐れみと、この時間が永遠に続けという願いと……。
いったいここまで感情を揺さぶられるのは、このMVのせいなのか、はたまたぼく個人の問題なのか。現役の中高生はどういう感想を抱いているのかすごく気になる。
いずれにせよ、「抑えきれない衝動」って泣けるとか感動とかではなく、心に突き刺さる歌でありMVです。
最後に。
ドローンの操作に夢中になって列を乱す山田菜々美(左端)。
さすがだ。