平手友梨奈、きみの声が聴きたい
テレ東音楽祭を見ました。
欅坂46の2ndシングル「世界には愛しかない」が初披露されましたね。
いやぁ、すごかった。
というのもこの曲、ちょっと待遇格差がすごすぎる。
もちろん、1stシングルの「サイレントマジョリティ」で、欅坂46というグループが平手友梨奈を神推しするスタンスであるということはわかっていたし、文化放送の『欅坂46 こちら有楽町星空放送局』で「世界には愛しかない」を聞いて薄々感じていたものの、ビジュアルとしてみるとあらためて衝撃的。
「世界には愛しかない」はこんな感じだ。
メンバーが板付きでスタンバイする中、センターの平手友梨奈の姿がない。しかし、イントロが流れはじめる。どういうことかと思っていると、モーゼよろしくメンバーが左右に分かれ、その間を平手が颯爽と駆けて入場する。
その後、平手の語り&ソロ歌唱パート、長濱ねると今泉佑唯の語り、この3名による歌唱パートがあってサビ前の前列メンバーによる歌唱パート、そしてサビになるわけだが、この間、つまりイントロが流れ平手が現れ、前列メンバーが「もう少ししたら夕立ちが来る」と歌いきるまでのおよそ1分40秒ほど、長濱をのぞく二列目以降のメンバーは一切声を発しない!
大事なことだからもう一度書くけど、およそ1分40秒ほど、二列目以降のメンバーは声を発しないんです。バックダンサーのごとく、ただ笑顔で踊っているだけ。
これがホントの「サイレントマジョリティ」。
閑話休題。
1stシングル『サイレントマジョリティ』と2ndシングル『世界には愛しかない』でわかったのは、欅坂46は完全にアーティスト志向だということ。もっといえば、乃木坂46がAKB48との差別化のために向かったアーティスト路線を踏襲し、さらに進化させようとしている。
しかし、そうだとすると、今回のパフォーマンスは残念だった。
というのも、これ、明らかに口パクだよね。
もちろん、口パクが悪いわけじゃない。というか、ぼくはアイドルが口パクであることは別に問題ないと思ってる。
ただし、アーティスト志向であるならば、口パクではダメだろう。
もちろん音響とかいろいろな事情はあるのはわかる。でも、「世界には愛しかない」って、語りこそがクライマックスのはずだろう。息が乱れてもいいじゃないか。歌詞やセリフをド忘れしてもかまわない。あの歌は、完成度よりも、息づかいとか声音といった、身体的なものこそが重要な曲のはずだ。
だからこそ、録音された音ではなく、人前で初めて披露するときの喜びと緊張を含んだ声を聴きたかった。
ぼくは、平手友梨奈の声を聴きたい。