「語るなら未来を・・・」は予定調和でつまらない
欅坂46の2ndシングル『世界には愛しかない』のカップリング曲のMVを見ました。
「語るなら未来を・・・」です。
こちらは、TypeA、B、Cの三つに収録されています。
率直にいって、ぼくはあまり好きではない。
「サイレントマジョリティ」のころに感じた興奮が、急速に冷めてつつある。なんでこうなっちゃったかなぁ、という気持ちです。
このMVはかっこいい。
システマティックなダンスの巧みさ、映像の見栄えのよさ、平手友梨奈をはじめとするメンバーの表現力、どれをとっても見事だった。
でも、ぼくはこのMVには魅力がないと思う。
なぜなら、これは単なる自己模倣に過ぎないからである。
「サイレントマジョリティ」があれほど衝撃的だったのは、楽曲やMVの魅力はもちろんのこと、平手友梨奈という人物の鮮烈な存在感ゆえだ。
アイドルのMVにもかかわらず、笑顔を見せずに画面のこちら側をにらみつけ、仲間たちを鼓舞するように踊り、歌う。あんなにかっこいい女の子を久しぶりに見た。
しかし、奇抜なものも見慣れれば凡庸に堕する。
悲しいかな、「語るなら未来を・・・」の平手友梨奈は、ただの焼き直しに過ぎない。だって、真顔でこちらを見つめる平手友梨奈は、「サイレントマジョリティ」でもう知っているんだから。すでに知っているものに、新鮮さや驚きはない。
これはMVの演出にもいえる。
暗い照明、平手友梨奈のバックダンサーと化したメンバー、笑顔一切なしの真顔演出。「世界には愛しかない」と「語るなら未来を・・・」という同一シングルの楽曲でこれほどMVの演出が似てるってどういうこっちゃ。
どちらも「サイレントマジョリティ」を意識しすぎだ。
シングル二作目にして、はやくも自己模倣に陥ってるじゃないか。
アイドルのアーティスト化路線の行き着く先がここなのだとしたら、これほど退屈なことはない。アイドルはなんでもありだったはずなのに、アーティストを目指すあまり、”かっこいい”という価値観に支配されてしまっている。
予定調和はつまらない。
3rdシングルは、「手を繋いでで帰ろうか」みたいな凝った楽曲ではないシンプルな恋愛ソングとか、メンバーがサンタに扮したMVが売りのクリスマスソングを期待する。
そうしたベタなものこそ、いまの欅坂46にとっては、かえって奇抜なものなのだから。