家から出て握手したら負けだと思ってる

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乃木坂46セカンドアルバム『それぞれの椅子』の「きっかけ」が、ぼくの人生のテーマソングになった

乃木坂46 2ndアルバム『それぞれの椅子』がいよいよ発売されました。

特典欲しさにセブンネットショッピングで予約したために、まだ手元にはありません。到着を待てず、わざわざグーグルプレイミュージックで聞いています。

アルバムの新曲は11作品あり、どれも個性的だ。

特に、生田絵梨花のソロ曲である「低体温のキス」はすごい。

歌謡曲テイストのロックで、聴いていると、『乃木坂ってどこ?」でGLAYの「誘惑」を披露した生ちゃんを思い出す。男と女の熱い恋を、生田絵梨花の上手いんだか下手なんだかわからない独特の歌声で歌われると、なんともいえない気分になる。レコーディングスタジオでノリノリになっている姿が容易に目に浮かびます。生ちゃんのヤバさを引きだしている名曲だ。

しかし、この11曲の中でもひときわすばらしいのが、「きっかけ」だったのです。

 

きっかけ

きっかけ

  • 乃木坂46
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

 

「きっかけ」と『それぞれの椅子』

アルバムのリード曲として

『それぞれの椅子』はタイプAからタイプDの4種類が発売されていて、各タイプごとに収録曲が違う。しかし、「きっかけ」は全タイプに収録されており、加えてセブンイレブンのCMタイアップ曲にもなっている。

いわば、『それぞれの椅子』というアルバムのリード曲といってもいい存在です。

実はこの曲、乃木坂46のラジオで発売前に流されていました。残念ながらその回を聞き逃してしまったために、名曲らしいという噂を耳にしつつ、リリースを楽しみにしていたのです。ワクワクしながら待っていると、セブンイレブンのCMで流れてくるじゃないか。

www.youtube.com

たしかに名曲っぽい。これだけでもちょっと涙ぐみそうな感じだ。

早く全部聴きたいと思いつつ、発売日を待った。

そして、実際、聴きました。

――すごいね、これは。

乃木坂46史上あるいは秋元康史上でもトップクラスの名曲でしょう!

曲の魅力

イントロは、乃木坂らしいピアノのソロではじまり、その後は、急かすような4つ打ちのスネアドラムが加わる。これが「自分の選んだ未来に進むんだ」という歌詞の世界観とぴったり合っている。

どこかで聴いたようなメロディーだなと思っていたら、それも当然。作曲をしたのは、お馴染み杉山勝彦さんだった。「制服のマネキン」や「君の名は希望」を手掛けている。

「きっかけ」という曲は、なんというか、合唱曲みたいだ。それこそ、「君の名は希望」の合唱曲感にも通じる。AメロやBメロのパート割りは、たぶん2人ずつ。ちゃんと歌っているメンバーの声がわかるようになっている。そして、サビ前ではこれでもかこれでもかとタメを作って盛りあげ、サビではみんなで歌って解放する。ぶっちゃけ、これはちょっとズルいと思う。こんなのされたら、条件反射で感動するに決まってる。

だって、「翼をください」を歌うとめちゃくちゃ気持ちいいでしょ。これは全人類というと大げさなら、全日本人が感動するメロディーであり構成なんじゃないのか?

この曲がNHKの全国合唱コンクールの課題曲になっても不思議じゃない。そのくらい普遍性があるというか、老若男女、誰の心にも響くメロディーだ。

マキタスポーツさん、よければ教えてください。

歌詞の魅力

歌詞のテーマは秋元康お得意の人生もの。やすすはラブソングを書くのもうまいけど、人生とは何かといった大上段に構えた歌詞もかなりいい。

横断歩道を歩いている「私」。「私」には、なにかやりたいことがあるようなのだけれど、はじめの一歩が踏み出せない。決断するための「きっかけ」が欲しい。心に信号があれば、進むべきか止まるべきか、簡単に決められるのに……。そんな風に弱気になるけれど、「きっかけ」になるのは、誰かの命令ではなくて自分の衝動や考えなんだ、選ぶのは自分自身なんだという内容。

決心のきっかけは

理屈ではなくて

いつだってこの胸の衝動から始まる

流されてしまうこと

抵抗しながら

生きるとは選択肢

たった一つを

選ぶこと

すばらしいサビですよ。

生きるとは選択肢 たった一つを選ぶこと

これは秋元康の「生きるとは○○」史上、最高の「生きるとは○○」じゃないか?

(ちなみに、SKE48の「前のめり」では、「生きるとは走ること」だったし、乃木坂の「革命の馬」では「生きることとは闘い」だった)。

 

やっぱり秋元康先生は天才作詞家でしたね。

こんな歌詞書いていたんだったら、AKB48の新曲「翼はいらない」が「365日の紙飛行機」の焼き直しみたいになるのは仕方ないよ。チーム4の「考える人」の「ダンテなのかロダンか」という歌詞を見て、「おまえは野坂昭如か!」とツッコんですみませんでした。

はっきりいって、秋元康の作詞した曲は、たまにメロディーとのかみ合わせが悪いときがある。理由はよくわからないのだけれど、聴いていてあるいは歌っていて、歌詞の部分がメロディーから浮き上がっているような曲があるのだ。

けれど、この「きっかけ」ではそれがほとんどない。どれもみな、なめらかに耳に入ってくる。口ずさんでみるととても気持ちいい。

特に「決心のきっかけは」の部分がすばらしい。

「決心」も「きっかけ」も子音の「K」で頭韻を踏んでいる。そのせいで、まさに一歩一歩足を踏みしめるような歌い方になり、歌詞のテーマがより効果的に伝わってくる。

「きっかけ」と、「それぞれの椅子」の意味

もうひとつ、気づいたことがある。

それは、「きっかけ」という歌は徹底的に「私」の歌だということ。

たとえば、「ハルジオンが咲く頃」では「君のことを僕らは思い出すだろう」というように、「僕ら」と「君」の関係を歌う。AKB48の「少女たちよ」は、明らかにAKB自身を歌っているにもかかわらず、「少女たちよ 」という三人称が使われる。「ガールズルール」は「私」という女性視点の歌に思えるけれど、「女の子たちは真夏に恋して」が入ることで、完全な一人称の歌にはなっていない。

たぶん、これは無意識のテクニックなんだろう。

秋元康はどこまでいっても男性なので、本当の女性の気持ちはわからない。だから、リアルな「女性」や「少女」の心情を描くことはできない。そのため、回避策として、「僕」を使って男性視点の歌にするか、「少女」や「君たち」や「女の子たちは」を使って神視点の歌にしていたんだと思う。そうしないと、「涙がまだ悲しみだった頃」のような、「~だったのよ」とか「~だったわ」のように、語尾で女性らしさを強調する、ステレオタイプな女性を視点人物とした歌詞になってしまうから。

(これが行きすぎると、例のHKT48の歌みたいに差別だといわれるようになっちゃう)。

 

 ところが、「きっかけ」という歌には「私」以外の登場人物は出てこない。「僕」も「君」も「少女たち」も出てこない。「何度目の青空か」のように、サビの部分で三人称的な視点になることもない。最初から最後まで、「私」による「私」のための歌だ。「僕」が「君」に語りかける歌でもない。どこかの誰かが「少女たち」に語りかける歌でもない。乃木坂のメンバーひとりひとりが、自分に向かって語りかける歌だ。

正直いうと、ぼくは『それぞれの椅子』というタイトルの意味を掴みかねていた。色んな解釈ができるいいタイトルだとは思っていたけれど、「みんな違ってみんな良い」というか、「乃木坂にはいろんな個性を持ったメンバーがいる。だから、すばらしいんだよ」的な、呑気な意味なのかと思っていた。

でも、「きっかけ」を「私」という一人称の歌だとすると、「それぞれの椅子」が意味することがよくわかる。

「みんな違ってみんな良い」なんて生易しいものじゃない。「それぞれの椅子」というのは、メンバーが選んできた(そしてこれから選ぶ)人生そのものだ。ひとりにつき、椅子はひとつしかない。ひとりがふたつの椅子に座ることもできないし、ひとつの椅子にふたりで座ることもできない。自分が座りたい椅子があるのなら、誰かが座る前に座らなくてはいけないし、いちど座ってしまえば、椅子を取りかえることはできない。なぜなら、「生きるとは選択肢たった一つを選ぶこと」だからだ。自分の人生は「私」だけのものであって、「君」も「あなた」も「メンバー」もいないし、変わってもらうこともできない、「私」だけの「椅子」だ。

これが、「きっかけ」がリード曲的な扱いを受けている理由だと思う。

もっと具体的にいえば、これは、乃木坂46のメンバーにとって最大の決断事である、卒業をテーマにしたものじゃないだろうか。

「あの信号いつまで青い色なんだろう」とは、自分たちはいつまで乃木坂というグループに在籍していられるんだろう、という不安。

「誰も彼もみんな一斉に走り出す」は、卒業するメンバーたちのこと。

「決心のきっかけは理屈ではなくて いつだってこの胸の衝動から始まる」とは、文字通り、卒業を決めるのは理屈ではなく自分が納得し、やりたいことができたときだ、という意味。

 ほら、なんとなく辻褄があう。それに、「きっかけ」を歌っているのは、卒業する深川麻衣が初のセンターを努めた「ハルジオンが咲く頃」と同じメンバーだ。

進むべきか止まるべきか。

もう卒業するべきか、まだ留まるべきか。

卒業した後、どんな「椅子」を選ぶのか。

その決断をするのはあくまで自分自身。そして、きっかけになるのは、誰かの言葉などではなく自分の気持ち。

これは、やすすからの「悩まず、自分に正直に生きろ」という、メンバーへのメッセージなのだ!……と思う。

もちろん「きっかけ」は純粋な応援ソングでもある。「私」による一人称になったおかげで、聴いている人がより自分のこととしてとらえやすくなっている。受験とか就活とか転職で迷っている人にとっては、まさにこの曲こそが「きっかけ」になるんじゃないだろうか。

人生のテーマソング

 いままで、ぼくの人生のテーマソングは「少女たちよ」だった。

少女たちよ

何もあきらめるな

悲しいことなんかすべて捨てて

全力で

全力で

走るんだ!

うまくいかないことや嫌なことがあると、これを聴いてテンションを上げていた。もちろん、いまでも大好きだけれど、やはり、この曲はAKBのメンバーたちのため歌であって、ぼくにはどこか人ごとだった。

その点、「きっかけ」は違う。なんせ、この曲には固有名詞がない。「ステージ」や「スポットライト」といったアイドルを連想させる言葉もなければ、「スマホ」や「ポケベル」のような、特定の時代を感じさせる言葉もない。つまり、非常に普遍的な言葉を使って、普遍的な感情を描いているということだ。どの時代のどの人でも感じることを、どの言語に翻訳しても注釈が必要ない言葉で語っている。

だから、この「私」はメンバーでもあるし、ぼくでもあるし、あなたでもある。

秋元康が、真正面から、「私」の悩みや不安や希望を描いた「きっかけ」。これを聴くだけでも、それぞれの椅子を買う価値はある。アイドルや乃木坂46の曲ではなく、Jポップの名曲として語られるべき一曲だと思う。