家から出て握手したら負けだと思ってる

完全在宅アイドルファンによるブログです

AKBメンバーにオススメのプロレス本 「1985年のクラッシュ・ギャルズ」

いよいよ、48グループのメンバーが出演する新しいドラマが始まる。

その名も『豆腐プロレス』。テレビ朝日系列で2クールに渡って全国放送され、土曜日の24時30分からという恵まれた時間帯だ。アイドル×プロレスとは意外な組み合わに思えるが、どちらも肉体を武器にしたエンタテインメントであることを考えれば、キャバクラを舞台にした『キャバすか学園』よりもぴったりな題材かもしれない。

さて、AKBがいよいよプロレスとかかわりを持つということで、この機会にぜひとも運営およびメンバーに読んでほしい本がある。柳澤健『1985年のクラッシュ・ギャルズ』だ。ぼくはプロレス者というわけではないが、この本はスポーツもののノンフィクションとしておもしろく読んだ。それだけでなく、エンタテインメント業界のビジネス書としての側面も併せ持っている。観客を楽しませるとはどういうことか、優れたレスラーはいかにして客席の心をつかんでいるのか、興行団体の運営サイドはどうやってスターを育て上げればいいのか、といったことがらについての示唆に富む記述でいっぱいだ。

 

AKB以上の残酷ショーを演出する全女

『1985年のクラッシュ・ギャルズ』は、長与千種とライオネス飛鳥という全日本女子プロレスに所属してたふたりのレスラーについての物語だ。彼女たちは全日本女子プロレス(全女)という団体に所属していたのだが、この全女というのがとにかくヒドイ。 有望な新人とそれ以外をはっきりと峻別し、有望な選手にはエリート教育を施すために先輩たちの巡業に帯同させ、それ以外の選手はボロ雑巾のように扱うという団体なのだ。全女を運営していた松永兄弟は、このように選手の待遇に差をつけることで、選手同士を徹底的に憎しみ合わせその怒りをマットの上で発散させるように仕向けていた(驚くべきことに、全女は一部の試合をガチンコでやっていた!)。

このやり方、どっかの運営と非常によく似ている。もちろんここまで露骨なことはしないけど、同期のメンバーの中に明らかな"推され"と"干され"を作ることで"干され"の奮起を促し、それによって全体の活性化を狙うという手法はそっくりだ。「強いライバル心をお互いに抱いている若手ふたりを見つけると、すぐさまどちらかを抜擢する」(第二章)なんて記述を読むと、前田敦子と大島優子やW松井といった形で競わせたり、HKT48のデビューシングルのセンターをそれまでの兒玉遥から田島芽瑠に変えたりしたAKBのやり口を連想してしまう。まあ、さすがに「「お前らの代わりはいくらでもいる。使えないと思ったらすぐに田舎に帰ってもらうからな。いつおシャカになるかな?」」(第二章)みたいなことをいうスタッフがAKBの中にいるとは思わないけども。

演者はいかにして観客の心をつかむのか?

これだけだとプロレス残酷物語みたいであまりにも悲惨すぎるけど、この本は、長与千種というレスラーがいかに偉大だったのかについても紙幅を割いている。先述したように、全女には押さえ込みルールという特殊なルールがあった。いわば、ガチの試合があったのだ。このガチンコ試合に強かったのが、クラッシュ・ギャルズのひとりであるライオネス飛鳥だ。恵まれた体格と日々のトレーニングによって、飛鳥はベルトに挑戦するほどまでの強さと自身を手に入れていた。しかし、ある日マネージャーの松永国松からすべてを否定する一言をいわれる。

「お前は確かに強い。技もすぐに覚える。でもお客さんに伝わるものが何もなく、見ていてもまったく面白くない」

 ショックだった。試合にはずっと勝ってきた。練習も人より多くやっているつもりだ。弱いのならば練習して強くなればいい。だが、面白い試合をするためにはどんな努力をすればいいのか? 飛鳥には見当もつかなかった。(第三章)

実力はあるが華がない。この問題は、あらゆるエンタテイメントに存在する。アイドルでいえば、歌もダンスも上手い、あるいは顔はかわいい。しかし応援したくならないって感じだろうか。ダンスが下手なら練習をすればいい、しかし、見ていて面白くない、応援したくならないといわれたらどうすればいいのか。これで悩んでいるメンバーは結構多そうだ。

一方、もうひとりの長与千種はこの押さえ込みルールでは非常に弱かった。というのも、彼女は背も低く体重も軽かったからである。しかし、レスラーとしての華やかなのは長与千種のほうだった。ひとことでいえば、長与千種のプロレスは感情を伝えるプロレスだったのだ。自分が投げられたり蹴られたりした痛みを観客と共有する。そうすることで、観客は長与の苦しみを自分の苦しみとして感じる。だからこそ、勝利の瞬間には同じくらい喜び、負けてマットに寝ころんでいる姿に涙する。

いったいどうやってそれほどまでに観客の心を引きこんでいたのか。ちょっと長いが、その手法について書かれた部分を引用する。

 長与千種は会場に着くと、まず天井を見る。中心がどこかを確認するためだ。二階があれば上がってみて、そこからリングを見たり、若手が練習する際の受け身の音を聞く。観客には何が見え、何が見えないのか。どんな音が聞こえ、どんな音が聞こえないのかを確かめるのである。

 自分の試合が始まっても、観客がさほど盛り上がっていないと感じれば、いきなり場外戦に持ち込む。投げられて一列目から十列目まで派手に吹っ飛んでいけば、パイプ椅子はガシャガシャガシャンと凄い音を立てる。どこかの皮膚が必ず切れて出血するが、それだけの価値はある。

 一瞬でも「怖い」「凄い」と思わせれば、観客はもう自分のものだからだ。

 相手の技から逃れるためロープに手を伸ばす。長与千種は決して普通につかまず、ドラマチックに演出する。

 やや広げた指先に力をこめて数センチずつ動かし、指を一本ずつ、第一関節から第二関節へとゆっくりとロープに乗せた上でようやくつかむ。その間、息を止めていることも重要だ。観客は自分が応援している選手に合わせて呼吸しているものだからだ。レフェリーがロープブレークを命じると、長与千種はそこで初めて深い息を吐き、観客も一緒に息を吐く。こうして観客は、千種と一体になって試合を戦ているかのような感覚を得るのだ。(第四章)

息をするタイミングまでも利用して客席と一体化しようとしているなんて、ちょっと想像もできない。しかし、リングは上下左右ありとあらゆる方向から視線を向けられているわけで、それを考慮すれば、見られることへの意識の高さはアイドルや舞台役者以上にレスラーは強いはず。もちろんAKBはアイドルなので観客席に乱入することなんて不可能だけど、指先の動きや呼吸にまで気を使って観客の心を掴もうとする姿勢は参考になると思う。

卒業してからの人生は・・・

AKBは夢に向かって進むための場所だ。アイドルはいつまでもやっていられる職業じゃない。歌手なり女優なりタレントなり、いずれはグループから卒業して別の道に歩まなくてはならない。同じようなことが、クラッシュ・ギャルズのふたりにも待ち構えていた。というのも、当時の全女には25歳定年制があったからだ。どんなに人気のあるレスラーも25歳を目途に引退を迫られる。その後の人生をどう生きたのか。

 プロレスを引退した長与千種は二十四歳で芸能界に転身した。

 引退して初めてわかったのは、プロレスは色物でしかないということだった。

 プロレスが普通のスポーツでないことは確かだ。スポーツ選手の目的は勝利だが、プロレスラーの目的は勝利にはなく、観客の心を動かして、再び会場に足を運んでもらうことにあるからだ。

 しかし、肉体だけを使って観客を興奮させ、泣かせ、喜ばせ、怒らせ、悲しませ、驚かせるために、プロレスラーがどれほどの代償を支払っているかを知る人は少ない。

(中略)

 元女子プロレスラーに回ってくる仕事は、バラエティ番組でバンジー・ジャンプや大食いに挑戦するというものがほとんどだ。たまにドラマに出ても、大柄で鈍そうな女性の役ばかり。(第七章)

世間がアイドルを見る目もこれと大差はない。この後、長与は演出家のつかこうへいに見初められ主演の舞台を演じることになるのだが、芸能界に馴染むことはできずプロレス界に復帰する道を選ぶ。そして、いまでも団体を率いて興行を行っている。長与千種にはプロレスがあった。その世界はたとえ30や40になっても活躍ができる世界だった。でも、アイドルを辞めた女の子が40歳になってアイドルグループに入り直すのは現実的ではない。いま大量に所属しているメンバーの何人が芸能界に残り、そのうちの何人が華やかなスポットライトを浴びるのか。

考えただけでもぞっとするので、これは考えないようにしよう!

クラッシュ・ギャルズをルールモデルとして

いまから30年も前に、高校を卒業したばかりの少女が大人の男たちによってしきられた世界に飛び込んだ。そこは、身一つで人々を魅了するために、ときに仲間同士で激しい競争さえも強いられる世界。『1985年のクラッシュ・ギャルズ』は、こんな悪魔的な業界で束の間の成功を収めたふたりの女性の物語である。30年後のいまアイドルとしてがんばっている女の子も、きっと胸を打たれるはず。

なにより、『豆腐プロレス』に出るメンバーは、これを読んでおくとプロレスオタクとの会話が増えるぞ!